N291Iwaki EARTH WORK
中原佑介氏からのメッセージ
 岩城信嘉がキャタストロフィックな現象に関心を抱くようになったのが何時の頃からかくわしくは知らない。この美術家は石による彫刻でその仕事が知られてきた。彫刻によってキャタストロフィックなイメージを表現することはあり得ることである。しかし、その場合でも、彫刻そのものは不動で確固としたものであり、キャタストロフィックな現象とは無縁であることは言うまでもない。したがって、岩城信嘉が石を用いてキャタストロフィックな現象を現出させるということを試みるに至ったのは、彫刻という概念の、少なくともその不動性という性質からの脱出があった筈である。

 岩城信嘉が試みたのは、地面に直立した石柱が倒れるという一瞬をうみだすことだった。大きな石柱は不動のものとして地面に設置されるのではなく、倒れるべきものとして立てられているのである。石柱を直立させるエネルギーは、転倒のエネルギーに転化されるべく貯えられる。エネルギーの有効な利用という視点からみれば、これはまったく無駄な消費というにふさわしい。しかし、有効性という視点を取り払ってしまえば、同時に浪費という視点もまたなくなってしまう。そこにうまれるのは、石柱の転倒というキャタストロフィックな現象だけである。
 岩城信嘉にとって彫刻からの逸脱は、その不動性からだけはなかった。この石柱の転倒はすべての過程が人為によっているのはないからである。石柱の基底部を不安定にし、やがてそれを転倒させるのは、砂を浸蝕する海水の力であり、自然現象によっている。したがって、石柱が倒れ始める正確な瞬間をあらかじめ予測することはできない。それは突然やってくるのである。むろん、人びとはそれが倒れるだろうことを予測はしている。しかし、それがいつの瞬間かはわからない。それは、もう散ることがおおよそ予測されるにもかかわらず、いつ枝から離れるのか正確には推測できない枯葉の場合と同じである。つまり、この石柱の転倒というカタストロフィックな現象は人為と自然力の合体によるものであり、人工と自然の両世界にまたがっているということができよう。ここでは、自然は計量のできない力としてたちあらわれている。岩城信嘉のキャタストロフィックな現象への関心の根本には、この自然の測り知れない力への畏敬ともいうべき興味があるように思われる。

 それというのも、この美術家は海水の浸蝕力のみならず、太陽の光にも強い興味を寄せているからである。そして正確にいえば、石柱の転倒というこの現象をうみだすのに、岩城信嘉は太陽の光をも利用している。美術家はまず海岸の波打ち際に石柱を立てる。時刻としては潮の満ち始める時である。ただし、晴れた日でなければならない。すると、海岸の砂の上に石柱の影が長く映る。その影にあわせて砂浜に溝を掘る。いうまでもなく影は石柱の基底部から始まっている。海岸に寄せる波はこの溝にたまり、また引き、そしてまたたまるということをくり返す。そして、そのたびごとに砂を浸蝕してゆく。つまり、太陽の影の方向から浸蝕してゆくのである。そして、その瞬間がやってくる。いわば石柱は海に向かって倒れ、水面に接するや否や破裂音とともに水しぶきを発して横たわる。
 この瞬間を目にするまでは、一種の軽い恐怖感がなくもない。しかし、石柱が倒れるとこんどはカタルシスを覚える。われわれ人間のもつアンビバレンツな感情のせいにちがいない。私がその現場に立ちあった日には、たまたま石柱が倒れた瞬間、中央部が真二つに割れるということが起こった。これは予期しない出来事だった。しかし、それは試みが失敗したことを意味しない。それもまた、キャタストロフィックな現象のひとつというべきだからである。石柱の転倒という現象はくり返すことが可能である。しかし、その一回一回の現象はまったく同じではあり得ない。この一回性が、岩城信嘉の試みの特筆されるところであろう。

 この美術家の太陽への関心はまた、別の系列の計画をうみだしている。それは、地面に円形または矩形の穴を掘り、その穴の底に太陽を描く内壁の影を塗料でなぞって、いわば地面の起伏を射影的な図形としてあらわすという試みである。むろん、太陽が移動してゆくので影は変化してゆく。したがって、図形は影の形を足し算していったようなものになるのはいうまでもない。この場合もまた図形は人為と太陽という自然の力の共同によってうみだされている。
 岩城信嘉のこうした試みは、それを古代に移してみれば自然信仰のあらわれとしての行為と見えるかもしれない。この美術家に自然への信仰があるとは見えないが、しかし、自然のもつ力にたいする畏敬の念がみられることは間違いない。それは長いあいだ石を彫りつづけてきたこの美術家が、石との格闘を通じて培ってきたものかもしれない。その畏敬の念が石から大地へ、大地から海へ、さらに空へ太陽へとひろがっていったのではあるまいか。それは美術家の行為としてあらわしたのが、これらの試みのように私には思われる。

1988年6月

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